堺の由来や、歩んできた歴史をご紹介します

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歴史探訪

大阪府堺市歴史探訪
堺市の概要
堺市は、人口、面積が府下2番目の都市であり、中核市に指定されています。市域は、大阪府中央部を流れる大和川を挟んで大阪市の南側に位置し、北東は松原市、東は羽曳野市、富田林市、大阪狭山市、南は河内長野市、和泉市、西は高石市に接しています。南部は、丘陵地で泉北ニュータウンが広がり、大阪湾に面する西北部は新日本製鐵堺製鐵所を始めとする堺泉北臨海工業地帯、「大阪版川崎市」と呼ばれる工業地域を形成しています。

堺のあゆみ
堺市内の遺跡からは、約1万年前の打製石器や、縄文時代の土器・石器、弥生時代の銅鐸・土器などが発掘され、古くから人々が定住していたことが確認されています。

5世紀に入ると次々と古墳が造営されました。中でも世界3大古墳のひとつ、日本最大の前方後円墳、仁徳陵古墳はよく知られており、古くから文化が発展していたことを物語っています。百舌鳥古墳群(堺市南郊の台地上にある古墳群)には、現在、半壊状態のものを含め、前方後円墳20基、円墳21基、方墳5基の46基の古墳がありますが、もとは100基以上ありました。

平安時代には、熊野詣の宿、鎌倉時代には、京都、奈良など後背都市の産業を背景に南北の堺荘が成立し、南北朝時代には「諸国七道」の廻船が発着する港となり、大変にぎわいました。15世紀前半から地下請の特権を得て、やがて訴訟も裁くようになりました。また、会合衆と呼ばれる10人の豪商たちが都市運営を行なうようになり、これが堺の自治の始まりとなったようです。その会合衆の一人、納屋助左衛門は、ルソンとの交易で財を成し、後に呂宗助左衛門と呼ばれるようになりました。呂宗助左衛門の居宅を移したのが大安寺の本堂といわれています。

戦国時代の堺は、日本一の鉄砲生産地としても知られ巨大な富を持っていました。当時の権力者たちの間では、「堺を制するものは天下を制す」と言われ、その富を支配下に置こうと画策し、争い、堺商人を自分の領地に移住させ、またその力を削ごうともしましたが、1615年、大阪夏の陣の炎によって自由都市、堺市は、その自治能力を失いました。

江戸時代には、堺奉行が置かれ、糸割符などの保護を受けましたが、鎖国の成立とともに経済の中心は大阪へ移り、管轄も大阪町奉行が兼任するようになりました。

1889年(明治22年)市制施行により、全国31市のひとつとして堺市が誕生しました。その後、周辺町村と合併し、人口の増大、市域拡大、交通の発展など、急速に近代化を推し進めましたが、1945年(昭和20年)の堺大空襲によって大きな打撃を受けました。しかし、そこから逞しく復興を果たし、全国で14番目の人口規模をもつ大都市へと発展しました。

平成8年4月、堺市は他の11市とともに全国で最初の中核市へと移行しました。現在、人口80万人を有する堺市は、大都市特有の行政需要に的確に対応し、市民福祉の向上と南大阪地域全体のさらなる発展のため政令指定都市への移行をめざしています。

堺の名前の由来
平安時代、この地が摂津・河内・和泉の3国の境に位置していることから、この名がついたといわれています。

堺の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
 堺市博物館
住所: 〒590-0802
大阪府堺市百舌鳥夕雲町2丁目 大仙公園内
 [地図を見る]
電話番号: 072-245-6201
開館時間: 9:30〜17:15
休館日: 月曜日(祝・休日の場合は開館)
祝日の翌日(土・日の場合は開館)
年末年始
入館料: 200円







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